今日開幕の、27年目を迎えるJリーグ。
それとほぼ同じくスタートし、実質的な下部リーグとして存在し続けた
JFL(ジャパンフットボールリーグ)について書いてみるよ。
ゆっくり歴史を振り返るスレです
日本サッカーは長らくプロリーグが無かった。
その時代にあったのは「サッカー日本リーグ」
通称「日本リーグ」もしくは「JSL」
実質プロ契約をした選手もおりその選手の数は徐々に増えつつあった。
そんな時代のJSL末期にリーグで覇権を握っていたのが
読売クラブと日産自動車の2強だった。
別に今でもその国の代表よりクラブの方が強いなんてのは普通にある事だが
この場合は如実にプロとアマの差が出てしまったと言えるのかも
長谷川健太のスーパーゴールが決勝点
日産自動車サッカー部が日本リーグ初優勝
今のFC東京の監督か
だね。日産自動車の選手だったがプロ化で故郷に戻った。
久保君を使うのか気になるわ
名古屋との練習試合では使ってたしゴールも決めたからアピールは見せてる
ちなマリとしても開花してほしいわ
加茂周監督って石原裕次郎を意識してるような・・・
現在の「キックオフFマリノス」(キクマリ)の前身とも言える番組で(放送時間は違うが)
この日はたまたまゲストで出ている鈴木正治は以前キクマリのMCを勤めていた。
TVKで長くホエールズ、ベイスターズの中継アナを努めた森田浩康アナと
前シーズンまで日産監督だった後の日本代表監督・加茂周のコンビでその週の試合を
振り返るスタイルの番組で、大体選手が1人ゲストで入ることが多く、
外国人選手や、時にはスタッフが来ることもある自由な番組だった。
日産は殆どの選手がプロだったがこの試合でゴールしている金田喜稔さんは
この時点では社員選手で、引退後に退職して評論家に転身した珍しい方です。
この時代になるとプロ化は不可避な空気となり、
先んじて色々な催しをするところも出てきた。
1990-91JSL読売ク3-1古河電工
古河電工が提携する事が決まったJRの力を仰いで国立競技場に大観衆を動員した試合。
試合結果は順当と言えるが、この大観衆の中でかつて松永と共に
将来の日本代表GKとして嘱望されていた古河GK下川がハイパントを
キャッチミスし失点してしまったのは残念だった。
そしてアマチュアリーグとしては最後のシーズンとなる
1991-1992シーズンが始まる。
1991-92JSL開幕戦読売ク5-1三菱自動車
ほぼおなじみのメンバーの読売クに比べ、
三菱は福田、広瀬くらいしか残ってないなぁ・・・
エスクデロパパは悪くなかったのに解雇してクソ外人拾ってくるし。
この時期は秋春制だったので途中で天皇杯をまたいで行ってた。
1991年12月23日第71回天皇杯準決勝ハイライト
映像後半の日産VS本田が行われた神戸の会場は現ノエスタ。
野球で言えば仙台宮城野球場と現在くらい別物。
本田の勝ち越しゴールを決めた黒崎は後に鹿島に行く黒崎久志。
1992年元日第71回天皇杯決勝日産4-1読売ク(延長)
1-1で延長に入り木村和司のゴールで勝ち越すと後はフルボッコ。
このシーズンの順位表はこちら
1991-92JSL1部
順位勝ち点(現クラブ名)
01位51読売クラブ(東京ヴェルディ)
02位43日産自動車(横浜Fマリノス)
03位36ヤマハ発動機(ジュビロ磐田)
04位30東芝(北海道コンサドーレ札幌)
05位29松下電器(ガンバ大阪)
06位27マツダ(サンフレッチェ広島)
07位27東日本JR古河(ジェフ千葉)
08位25全日空(横浜フリューゲルス→横浜Fマリノス)
09位25日立製作所(柏レイソル)
10位23本田技研
11位21三菱自動車(浦和レッズ)
12位20トヨタ自動車(名古屋グランパス)
個人表彰はこちら
MVP
三浦知良(読売ク)
得点王
トニーニョ(読売ク)18G
アシスト王
ジョルジーニョ(トヨタ)12A
新人王
高木琢也(マツダ)
ベストイレブン(フォーメーション4-3-3)
松永成立(日産)
井原正巳、柱谷哲二(日産)堀池巧、加藤久(読売ク)
ラモス瑠偉、北澤豪(読売ク)ジョルジーニョ(トヨタ)
トニーニョ、三浦知良(読売ク)中山雅史(ヤマハ)
ここに1965年に創設された日本サッカーリーグ(JSL)は終焉を迎えた。
上記タイトルホルダーを見ても全員が後のJリーグで主軸を担う選手で
占められており、チームも本田以外全てがプロ化へ舵を切っている。
ちなみにこの時代はアシストも公式タイトルになっており、
試合結果の記述には得点者の後ろにカッコでアシスト選手の名前が書かれてた。
アシストの略は「補」で「補=ジョルジーニョ」という風に。
JSLには2部リーグも存在した。順位はこちら。
1991-92JSL2部
01位74フジタ(湘南ベルマーレ)
02位65住友金属(鹿島アントラーズ)
03位65ヤンマー(セレッソ大阪)
04位60NKK
05位59富士通(川崎フロンターレ)
06位50大塚製薬(徳島ヴォルティス)
07位46東京ガス(FC東京)
08位45川崎製鉄(ヴィッセル神戸)
09位33NTT関東(大宮アルディージャ)
10位33甲府クラブ(ヴァンフォーレ甲府)
11位29コスモ石油
12位27中央防犯(アビスパ福岡)
13位27東邦チタニウム
14位22京都紫光クラブ(京都サンガ=現在関係解消)
15位21田辺製薬
16位19読売ジュニオール
得点王
ジーコ(住友金属)21G
アシスト王
ピッタ(フジタ)12A
ベストイレブン(3-4-3)
伊藤裕二(ヤンマー)
名良橋晃、名塚善寛(フジタ)高升(富士通)
エジソン、ピッタ(フジタ)ジーコ(住友金属)森島寛晃(ヤンマー)
バウテル(ヤンマー)野口幸司(フジタ)望月聡(NKK)
こちらはJ創設メンバーは鹿島のみで、その後参入した所が多い。
しかしながらMVPのジーコはもとより、ベスト11も結構な名手の面々が並ぶ。
高升は当時富士通に多くいた中国人選手で、選手としてはJリーグに関わらなかったが
2007年から11年まで富士通サッカー部の後身にあたる川崎フロンターレでコーチ。
その後中国リーグの杭州緑城に岡田武史が監督に就任した際に
アシスタントコーチとして招聘されている。
JSL1部からは東日本JR古河、三菱自工、読売ク、日産、全日空、トヨタ、松下、マツダがプロ化を表明。
特に日本リーグ末期の優勝争いをしていた読売クと日産は既に事実上プロ活動をしており、
その他6チームもある程度施設面等の問題もクリアしておりここまでは順当。
Jリーグは10クラブで発足する予定であったため、残りは2クラブ。
現・清水エスパルスが他クラブで悩みどころであったスタジアム面を
日本平球技場でクリアし、その他の要件も日本一のサッカーどころという事もあったか
なんとかする目途が立った為にに加入決定。
地域的にも無理だろうし、当然
JSL名門4チームに対し住金はジーコこそいるものの明らかにドクター中松状態。
Jリーグ側は住金側に諦めさせるために
「せめて屋根付きのサッカー専用スタジアムでも建ててくれたらいいんですけど」
と伝えたところ本当にカシマスタジアムを建ててしまう事が決まった為に急転直下で鹿島の参加が決定した。
清水の所で書いたようにホームスタジアムの問題でそれが出来ず、一部クラブでは
移転やその他複数の問題点が表面化する事もあった。
以下がその主な例。
江戸川区競技場はプロ仕様への改築が見込めず、駒沢競技場は病院が近傍にあるため
プロの試合の常用は不可能。そこで静岡県浜松市の本田技研サッカー部を誘致しようとしたが
(狭山の本田のサッカー部と統合する計画だったらしい)
本田のプロ不参加表明を受け、どこか来てくれる所は無いかと探していた埼玉県と
利害が一致し浦和市をホームに。
(もう1つはアイスホッケーだがこちらは99年に休部)
事実上日本人初のプロサッカー選手であり西ドイツ・ブンデスリーガで活躍し
欧州チャンピオンズカップ(現CL)の準決勝でゴールした伝説の選手・奥寺康彦を
輩出する超名門であったが活動拠点が横浜市で、日産、全日空と合わせると
横浜市に3クラブとなってしまうので移転先を探していた。
(相鉄が西横浜駅でJRと別れて天王町方面にカーブする所の内側にグランドがあった)
当初は秋津サッカー場がある習志野市になるはずだったが頓挫。
やむなく市原臨海競技場のある市原市をホームにする事となったが、
スタンドが足りないために陸上トラック上に立ち見ゾーンを設ける等
あまりの貧弱さに不満が噴出し2005年以降蘇我駅前のフクダ電子アリーナに移転。
あの地域は過去の複雑な経緯もあり東京都と神奈川県の都県境が
恐ろしく複雑に入り組んでおり、わけが分からない状態。
しかし当時、味の素スタジアムなど存在せず、また三浦カズを筆頭に
超絶人気沸騰していたこともあってか(事実、JSL時代も日産とここの人気は他を圧倒してた)
国立競技場のホーム化を強く要請。しかしこれが却下されると
JSL時代に使用していた事もあった川崎市の等々力陸上競技場がホームとなる。
そしてこれはファン間で言われてた事だが、サッカー協会の中で発言力がある
いわゆる「丸ノ内御三家」(古河、三菱、日立)とは違い、日本サッカーがアマチュアしか
無かった時代にハナからプロ化のみを考えて設立された読売クは「御三家」とは
常に折り合いが悪かったために冷遇されたのではないかと言われた。
ちなみに日産も事実上のプロだったがここはどちらかというとハト派的な存在で、
読売クと並んで「プロ急進派」と言われたのはフジタ(フジタ工業)で
こちらもオリジナル10に入れなかったのは公表された理由だけではないのでは?
とも言われてたのよね。
当時日産スタジアムは無く三ツ沢(現ニッパツ三ツ沢球技場)しか無かったこともあり
一部ホーム開催を「特別活動地域」とした長崎、熊本、鹿児島で行う事にした。
前園真聖らその地域出身選手の活躍もありある程度盛り上がったが
肝心の横浜市での人気が無く、そこに全日空本体の経営不振もあり
最終的にはマリノスに吸収合併されてしまう。
杜撰な運営で選手の反発を招きJSLの試合直前に選手が試合をボイコット、
控え全員集めても10人で試合をやらざるを得なくなり大敗。
ボイコット選手の無期限出場禁止(89年に解除)とチームへの処分が下った事があったため
当時を知る人間からは「また全日空がやりやがったか」との声も強かった、らしい。
ここは当然の成り行きという感じで名古屋市へGO。
プロ化と共に春秋制度へと移行することに。
(JSLも85年までは春秋制だったので復帰とも言える)
そしてJリーグの下にJapan Football League(JFL)を創設する事を決定。
現在存在するJFLは正式名称が「日本フットボールリーグ」で、
この92年からの方は「ジャパンフットボールリーグ」と呼ぶ。
どっちもJFLなのだが92年からのを通称「旧JFL」と便宜的に呼ぶ事が多い。
JFLは2部制が組まれ、Jリーグには行かなかった(入れなかった)JSL1部のチームと
JSL2部で成績が良かったチームがJFL1部、悪かったチームがJFL2部となった。
以下がその振り分け親方
JFL1部・・・ヤマハ、日立、フジタ、ヤンマー、東芝、富士通、東京ガス、大塚製薬、本田技研、NKK
JFL2部・・・中央防犯、京都紫光ク、川崎製鉄、コスモ石油、甲府ク、NTT関東、西濃運輸、東邦チタニウム、田辺製薬、大阪ガス
Jリーグ創設に伴うサテライトリーグ(現在廃止)発足の為発展的解消を遂げた。
西濃運輸と大阪ガスは全国地域リーグ決勝大会を勝ち抜いて参加。
余談だが、この旧JFL1部と2部は通称「J1」「J2」と呼ばれ、新聞紙面上も表記されてた。
勿論現在のJ1J2とは違うのだが、現J1J2が創設された際、一部ファンには懐かしい響きに聞こえたようだ。
このリーグの特徴はというと、一言で言えば「ごった煮の鍋」。
プロ化を目指すものとそうでない所が混在し、しかもまだインフラ面等でも未成熟な面が多く
セミプロリーグという表現が的確な存在であった。
アマチュア企業サッカーってのは多分日本独自の文化だからなぁ・・・
どうなんだろ
リーグの立ち位置としては近いかもね
「プロ化を考慮していないチーム(企業や大学のサッカー部、ならびに地域のアマチュアクラブチーム)
にとっては、唯一の全国リーグであり、最高峰のカテゴリー」
ってなってる。
ありていに言えば、同好会の頂点、って感じかな
なるほど、でももちろんプロセミプロもあるんやろ?
ある。ただこの時代ほどガチプロはいないだろうね。
そういう選手はプロクラブ行くだろうし、
同格であってもサッカーに専念したいって選手はJ3がある。
実際、J3と新JFLは同格、って認定されてるのよね。
続き
ただ、この92年時点ではヤマハや日立のようなもうすぐにでもJリーグに加入できそうな所と
プロ化はまず考えてません、という所が明確に分かれていて、まだきれいなごった煮状態。
この後、元々JSLではないがサッカーブームに魅入られてプロ化をしたい!と強い要望を
もったクラブが多く参入してきてからが本格的(?)なごった煮になって行く。
ワールドカップアメリカ大会の予選を行いながらヤマザキナビスコカップを
いわば翌年から始めるJリーグのプレ大会として開催し、これが大盛況に終わった。
その陰でひっそり行われていた第1回JFL。結果は
1992年1部(勝ち点制=勝3分1)
01位44ヤマハ
02位40日立
03位31フジタ
04位24ヤンマー
05位23東芝
06位20富士通
07位20東京ガス
08位18大塚製薬
09位16本田技研(2部降格)
10位11NKK(2部降格)
得点王
中山雅史(ヤマハ)ロペス(日立=後の呂比須)13G
アシスト王
アンドレ(ヤマハ)名良橋晃(フジタ)8A
上位3チームは順当な結果となった。
しかし強豪だった本田はプロ志向選手が多く、宮本征勝監督、関塚隆ヘッド、
選手では黒崎久志(比差支)、長谷川祥之、本田泰人、内藤就行らが大量に
鹿島アントラーズへ移籍し鹿島初期の中核選手となり、北澤豪、石川康は
ヴェルディ川崎へ移籍。著しく弱体化した結果2部降格となった。
01位38中央防犯(1部昇格)
02位37京都紫光(1部昇格)
03位35川崎製鉄
04位30コスモ石油
05位28甲府クラブ
06位22NTT関東
07位19西濃運輸
08位14東邦チタニウム
09位14田辺製薬(関西リーグ降格)
10位12大阪ガス(関西リーグ降格)
ピッコリ(中央防犯)18G
アシスト王
ホルヘ(中央防犯)ロペス(京都紫光)13A
藤枝東高で高校サッカー選手権優勝した菊川凱夫を監督に据えて、この頃からアルゼンチン人選手を補強するなど
将来のプロ化へ向けて動いていた。2016年に死去した漫画「ワイルド7」の作者・望月三起也は菊川と懇意で、
度々「週刊サッカーマガジン」連載していたコラムの中で菊川との話を載せていた。
後に「藤枝(→福岡)ブルックス」に改称した時はマスコットキャラクターのブルドッグを望月がデザイン。
1992年12月
第73回天皇杯1回戦東北電力3(延長)2三洋電機洲本
ここを勝てばジーコの鹿島と対戦できるのでどっちも
モチベーション激アツだっただろうなぁ
第73回天皇杯2回戦鹿島6-1東北電力
伝説のジーコによるダイビングヒールボレーゴールが生まれた試合。
大差負けしたがなんと先制したのは東北電力。
このチームを母体とするブランメル仙台が現在のベガルタである。
第73回天皇杯1回戦川崎製鉄4-2同志社大学
同大の1点目決めた西田はその後京都、福岡等で活躍し
引退後はビリヤードに転向した西田吉洋だ
第73回天皇杯2回戦横浜M2-1川崎製鉄
名古屋港サッカー場かな?
水沼パパのガッツポーズは定番
第73回天皇杯1回戦東芝2-1福岡大学
終了間際にエース「黒豹」バルデスが決めた
第73回天皇杯2回戦ジェフ市原2-0東芝
これ千葉市陸上競技場か?
当時の感覚でもちょっと酷いピッチだわ
小倉弘子の旦那大活躍!
会場となった三ツ沢は今の浦和VS大塚製薬との二本立てで
(チケットは2試合共通だったので)次の試合のために来てた
浦和サポは全力で田辺製薬を応援していたらしいw
NKKサッカー部はこの試合を最後に廃部となった。
山本や神田はJクラブに移籍。
結構なジャイアントキリング
さすがに二度は続かず
3クラブにはヤマザキナビスコカップと、野球のファームに相当するJサテライトリーグへの参加が認められ、
JFLで2位までに入れば翌年のJリーグに昇格できる(その他条件も満たせば)こととなった。
当時は地域名が認められなかったために
後に「ベルマーレ平塚」に変更させられている。
これも先の「プロ化急進派」だったフジタだったから却下されたのでは・・
というのは邪智だろか?
というわけで、第1回JFLは2つの椅子を名門3クラブが争う、
血で血を洗う闘いとなり、結果・・・
01位16湘南ベルマーレ
02位14ジュビロ磐田
03位11東芝
04位10大塚製薬
05位09柏レイソル
06位08富士通
07位07ヤンマー
08位07東京ガス
09位06中央防犯
10位02京都紫光ク
得点王
バルデス(東芝)20G
新人王
棚田伸(柏)
ベストイレブン(3-4-3)
古島清人(湘南)
名良橋晃、名塚善寛(湘南)アルベルト(ヤマハ)
棚田伸(柏)ベッチーニョ、エジソン(湘南)吉田裕幸(磐田)
ロペス(柏)野口幸司(湘南)中山雅史(磐田)
カレカを補強した柏はなんとまさかの5位で終わってしまった。
ところが昇格の為の諸条件は2位磐田は完全に満たしていたものの
湘南は平塚競技場の設備が不十分だったために、ナビスコ杯で健闘した
柏が逆転昇格も、との可能性が浮上。しかし平塚競技場の改修計画が決定した結果、
当初の予定通り順位通りの結果に。
セッティングされた記者会見場に電話を置いてリーグ本部からかかってくるのを待つ
方式だったために柏の事務所は(やはりというか)お通夜化してしまった・・・。
まぁ、無理があったよね。
プロ志向ではないものの現役ウルグアイ代表選手を補強するなどかなり異色のチーム。
デレオンとペデルッチがそれで、前者はナシオナルで83年トヨタカップ優勝、
後者は89年のウルグアイリーグMVP。
バブル景気もあったのだろうがとんでもない選手がいたものだ。
この頃はボスマン判決以前&日本の好景気時期やから言うほど不自然でもないな
ヤクルトにメジャーの4番ホーナーが来たようにね
カズが挑戦した頃のイタリア・セリエAでゴールを重ねてたデリー・バルデスの双子の兄で
東芝に加入したこのシーズンと翌シーズン、そしてコンサドーレ札幌になった97年の3回、
リーグ得点王に輝いている。東芝(札幌)以外にも複数の日本クラブを渡り歩いており、
2000年前後のファンの中では印象に残りやすいストライカーだった。
選手の多くが自身の力を試すべくプロクラブへと次々に移籍。
その中には活躍した選手も多く、
最もダービーらしいダービーやったとかなんかで見た
おととしの天皇杯でその対決になってPK戦までもつれ込んだ時は
凄かったみたいだな、雰囲気が
ジュビロ磐田のJ初戦でバックヘッドのゴールを決めた鈴木将方、
レッズ初期は低迷の戦犯だったものの守備的なポジションにコンバートされてからは
重宝された堀孝史などがこの時代の前後に東芝から移籍して行った。
これは最初からではなく90年代初頭に赤から変更されたもの。
それを進言したのは後にJ2の名将となる、選手(キャプテン)時代の石崎信弘で理由は
「(当時ヨーロッパで絶頂期の)ACミランみたいに見えるから」
ミランは基本、ズボンとソックスが白なのでシャツより下が黒の東芝は正確には少し異なるが
これは東芝のイメージカラーからそうなったのだろね。
なお、翌年から1部2部を統合する事が決まったため降格チームは無し。
01位15本田技研
02位15PJMフューチャーズ
03位14NKK
04位11コスモ石油
05位10川崎製鉄
06位06トヨタ東富士
07位06NTT関東
08位06西濃運輸
09位06甲府クラブ
10位01東邦チタニウム
得点王
矢藤敏則(本田)16G
ベストイレブン(4-4-2)
武田亘弘(本田)
エデルソン(川鉄)前田浩二(PJM)神田勝利、ジェルソン(NKK)
矢藤敏則、マルシオ、塚野真樹(本田)森下仁之(PJM)
中三川哲治(本田)崔鐘鎬(コスモ石油)
建設して静岡県の最下部リーグから91連勝でJFL2部に昇格してきた、
企業教育プログラム販売企業PJMジャパンが保有したPJMフューチャーズ。
ここの売りはなんといってもマラドーナの弟、ウーゴ・マラドーナ。
前年から加入しており、ファンやメディアの間では
「いつかは兄を獲得するのでは」とも言われたが兄貴のコカイン沙汰で
それは夢と終わってしまった。
なんか新スタできたら移転するとかいうニュース見たな昨日
プロにはならない選手が加入していったチーム。(チーム自体は元々存在していた)
しかしこの年限りで廃部。
そして3位のNKKも廃部。翌年の新体制や新加入選手も発表された後の廃部だったとのこと。
ただここは80年台に社会人野球部が、翌年にバレーボール部が廃部になっており
遅かれ早かれこうなるのは避けられなかったぽい気がした。
ここは茅ヶ崎市にある会社で、柏などで活躍したGK加藤竜二がいたこともある。
ロアッソ熊本でコーチ時代に選手がケガで足りなくなり急遽現役復帰して
ベンチ入りした時のニュースで名前を見てびっくりした。
西が丘サッカー場にてダブルヘッダーで行われた試合は
JFL8位甲府クラブが日本電装を
JFL9位西濃運輸がNEC山形をそれぞれ下しJFL残留。
最後の1枠をかけてその翌日に行われるはずだった
敗者復活戦は降雪で1週間近く延期され
NEC山形が日本電装を下しJFL参戦を決定した。
前年昇格できずに残った柏に加え、PJMフューチャーズ、ヤンマー改めセレッソ大阪、
京都紫光改め京都パープルサンガが新たにJ準会員に認定。
4チームが2枠を争うことに。
中央防犯もこの年から中央防犯藤枝ブルックスを名乗る。
地域リーグからはNEC山形サッカー部が昇格。
現在のモンテディオ山形である。
01位26セレッソ大阪
02位25柏レイソル
03位24藤枝ブルックス
04位22PJMフューチャーズ
05位18京都パープルサンガ
06位18大塚製薬
07位18東京ガス
08位13川崎製鉄
09位12本田技研
10位11富士通
11位11東芝
12位10NTT関東
13位10NEC山形
14位09甲府クラブ
15位07コスモ石油
16位04西濃運輸
得点王バルデス(東芝)33G
新人王沢田謙太郎(柏)
ベストイレブン(3-3-4)
武田亘弘(C大阪)
沢田謙太郎(柏)トニーニョ、神田勝夫(C大阪)
森島寛晃、マルキーニョス、久高友雄(C大阪)
バルデス(東芝)カレカ(柏)ワグネル(大塚製薬)ピッコリ(藤枝)
11-0
というとんでもないスコアだった。
ある一定以上のプロレベルの試合で10点入ったのはこの時初めて見た・・・
その柏がアウェーでNEC山形と戦った試合は山形県球場、現在の
荘内銀行・日新製薬スタジアムで開催された。これは当時、
山形県にナイター開催できる所が無かったためで内野の一部に
芝生を付け足してサッカーができるレベルに誂えたもの。
関係者の努力の甲斐もあり1万5千を超える観衆が集まった中
行われた試合はカレカのハットトリック等で0-7という柏の圧勝に終わった。
そうね。2チーム共にユニフォームの色合いを変えてないのはええね。
昇格の切り札として柱谷幸一、戸塚、草野をレンタルで補強。
特に読売一筋だった戸塚の移籍はレンタルとはいえ驚かれた。
その直後の試合。
C大阪昇格確定。
中央防犯→藤枝ブルックス→福岡ブルックス→アビスパ福岡
サンガツ
ゴール真後ろの部分に広告看板を出してた。
一番のライバルチームのスタジアムにw
これでC大阪JFL優勝
どうでもいいけど最初のコスモ石油のFK、
GK武田が触れなければゴールに入っても得点にならなかったのねw
悲願のJ昇格を決めた試合。
アウェイとは言え比較的近い川越が会場だった為
柏ファンで埋め尽くされた
本田は実力はあったが業界が空前の不況になったのが不運だった・・・
コスモ石油と西濃運輸は逆に、実力がね・・・
地元や
野球強いけどブラック
トラックには「子育ては大垣市で」とか書いてるけどなw
が、その試合はTV中継される事はまず無く、試合内容は2大サッカー週刊誌で
チェックこそできたもののやはり映像は見てみたい。
JFLは基本的にJリーグと重ならない日曜開催だったため、
TBS「スーパーサッカー」では1週遅れになってしまい、かと言って
一般のスポニューでは重要な試合以外はやらない事が殆ど。
「JNNスポーツ&ニュース」では何故か、理由は不明だが
JFLの結果を映像付きで流してくれていた。
しかもその流れる時間はダイジェストの1分程度。
地方局から送っていたのかもしれないが関東の試合はTBSが撮影したのだろうし、
わざわざその1分程度のためにスタッフを送り込んでいたのかはほんと謎。
日曜夜なんて早く寝ないといけないのだがこれを見ずには寝れなかった。
調べてみたらこのシーズンの得点ランキングが凄いことになってた。
33Gバルデス(東芝)
29Gピッコリ(藤枝)
21Gマルキーニョス(C大阪)
20Gアマラオ(東京ガス)ワグネル(大塚製薬)
19Gカレカ(柏)
17Gロペス(柏)アンジェロ(京都)マラドーナ(PJM)
16G森島(C大阪)
今の大相撲状態。
この森島って今年現役復帰するやつか?
それ「ゴリ」森山だぞ
森なんとか多くて分からンゴねえ
ブラジル代表ミューレル獲得のあおりを受けて退団。
本田に移籍してしまう。
ただ、結果的にここからロペスは本格化し、後の日本国籍取得→代表入り、
へとつながっていった。逆にミューレルはトラブル続きで退団。
柏も初のJリーグでフルボッコにされ明暗が分かれた。
いずれも東北リーグからの昇格。
前者は企業チームだが後者は元々毎年の国体向けチームとして参加していたが
レベルアップしてきたことで国体向けとは別にチームを作り参戦してきた。
どんどんごった煮度合いが増してきた中、第4回JFLが開幕する。
あと、1994天皇杯のJFL勢の勇姿をいくつか
第74回天皇杯1回戦ヴェルディ川崎4-1藤枝ブルックス
翌年から福岡移転が決まっていたため藤枝としてはこれが最後。
ジュビロ磐田スタジアムを埋めた超満員の前で散った。
第74回天皇杯1回戦大塚製薬3-1ジュビロ磐田
大塚製薬のカウンター炸裂!
レェと関口がこの頃の攻撃の中軸
第74回天皇杯2回戦G大阪5-0大塚製薬
この時代はJリーグの試合では全クラブがミズノのユニを着用しなければ
ならない時代だったがそれ以外の試合は自由だった。
ガンバはアディダスと契約していたが、明らかにミズノのより良かったと思う。
イタリア系大阪人と言われたGK本並の着用してるモデル「プレデター」もカッコイー
J準会員に指定されて4クラブで2枠を争うこととなった。
(川崎製鉄は前年、一定数の試合を神戸で開催していた)
甲府クラブはヴァンフォーレ甲府に、大塚製薬は大塚FCヴォルティス徳島に、
東北電力はブランメル仙台に名称が変更。
率いてもらう予定で長澤本人の約束もとりつけていたが、長女のまさみ様という方が
静岡を離れる事に難色を示されたためにこの話が無しになってしまい、
長澤の東農大で同期であった東芝の石崎信弘が代わりに就任する事となった。
結果的に昇格もできたからセーフ
石崎は長澤家と長い付き合いで、行く先々で
「わしは長澤まさみちゃんと何度もご飯を食べてるぞ」
と言う事で選手に涙を流させるらしい
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